木村峻郎弁護士のひとこと「Behind THE COVE⑷」

木村峻郎弁護士のひとこと
「Behind THE COVE(4)」

(抜粋)その3
この日は、ハナゴンドウが1頭水揚げされるということで、その様子を遠目に見学させていただき、お話を聞いた後、セリが始まるまでの間、同町にあるクジラの慰霊碑や古式捕鯨狼煙場跡などの見学をしてきた。
その後、セリの時間にまた市場に戻り、その日、競り落とされた加工業者さんのお話を、軽トラックの窓越しに伺った。
シー・シェパード行動と自身への被害について感想を聞いた。
加工業者さんは、自身の被害についてのご苦労は深くは語られなかった。
ゆっくりと煙草をくゆらせながら、 「シー・シェパードは、日本人がどんだけ残虐なんか、写真を撮りたいんや。それは、写真を買ってくれる人がいるから。スポンサーがいなけりゃ、写真ばっか撮っておられん。わしらは、そんな優雅な生活に付き合っていられない。働かなあかん」。
「シー・シェパードに文句は言いたくないのですか?」という質問に対しては、 「そりゃ、文句も言いたいし、腹も立つ。そやけど、そうしたら、また、日本人は野蛮やっていわれて、相手の思うつぼや。辛抱するしかない」 と、苦笑いをされていた。
漁協の人は、加工業者さんを慮(おもんぱか)り、加工業者さんは日本を背負っている。
小さな田舎の漁師町、アメリ力国家から非人道的となじられる人々の本当の姿は、周りを慮り、グッと堪えて、地道に仕事をする、とても立派な方々ばかりだと感じた。
ちなみに、太地町では、シー・シェパードやセーブ・ジャパン・ドルフインズなど環境・動物保護団体が抗議活動を繰返し、ことにシー・シェパードについては9月1日から4月末に、町に張り付いて「売却に適した」 「残虐な写真」を求めて、あの手この手で隠し撮りをしているそうだ。
9月1日から4月末というのは、追い込み漁が解禁になる期間だからである。
せっかくなので、紹介しておく。
太地町では鎌倉時代からクジラをとっていたといわれているが、本格的な事業として捕鯨が行われるようになったのは、江戸時代初期(1606年)のこと。
突捕法として捕鯨水軍ともいうべき5組の刺手組(突船5隻をI組とする5
組)を編成し、マツコウクジラやセミクジラなどを鈷(もり)で捕獲したC) が始まりとされている。
燈明崎付近には「古式捕劇狼煙場跡」や「古式捕鯨支度部屋後」などがあり、今もその面影をしのぶことができるようである。
(環境省‘和歌山県の看板より)